
分子間相互作用は、薬学生が最初につまずきやすい単元です。ファンデルワールス相互作用、水素結合、イオン-双極子間相互作用、疎水性相互作用、静電相互作用、電荷移動相互作用——6つの名前が並んでいて、どれも似たような説明がついている。それを丸暗記しようとして、試験場で「誘起力ってどっちだっけ」となる。よくある話です。
でも、これは覚え方の問題です。6つはバラバラに存在しているわけではなく、一番基礎になるファンデルワールス相互作用を土台にして、そこから「似ているけど違うもの」「電荷が入るとどうなるか」「見かけの力」へと広がっていくという構造を持っています。この構造さえ頭に入れば、6つは自然に整理されます。
そしてもう一つ大事なことがあります。今日はいきなり分子と分子の間の力を見るのではなく、その前段階を先に押さえます。 分子の中にどんな電気的な偏りがあるのか。その結果、分子全体が極性を持つのか持たないのか。ここが分かっていないと、6つの相互作用の説明がすべて宙に浮きます。順番としては、原子レベル → 結合レベル → 分子レベル → やっと分子と分子の間、と登っていきます。
この記事は、分子間相互作用クラスター全8本の入口です。先に地図を見てから個別の記事に進んでください。
この記事は、もともと解説授業の動画で話している内容を記事に起こしたものです。物理の解説授業は分光分析法の範囲をYouTubeで無料公開しているので、読むよりも動画で一気に見たい人はそちらもどうぞ。
Contents
このクラスターで登る8本の地図
先に全体像を出してしまいます。この記事を含めて8本、次の順番で進みます。
| No. | 記事 | ここで手に入るもの |
|---|---|---|
| 1 | この記事 | 電気陰性度 → 結合の極性 → 双極子モーメント → 極性分子/無極性分子 |
| 2 | ファンデルワールス相互作用 | 6つの土台。3種類の双極子と、その組み合わせから生まれる配向力・誘起力・分散力 |
| 3 | 水素結合 | ファンデルワールス相互作用とは別物。沸点の異常から入る |
| 4 | 水への溶解性 | 水素結合を作れるかどうかで、溶ける溶媒・溶けない溶媒を分類する |
| 5 | イオン-双極子間相互作用 | ここから完全な電荷が登場する。食塩が水に溶けるしくみ |
| 6 | 疎水性相互作用 | 6つの中で唯一の「見かけの力」。主役は水分子のほう |
| 7 | 静電相互作用 | クーロン力と誘電率、そしてポテンシャルエネルギーの考え方 |
| 8 | 電荷移動相互作用 | ヨウ素デンプン反応の大学バージョン。ここで6つが揃う |
No.2から No.4 までは電荷を持たない分子どうしの話です。No.5で初めて完全な電荷(イオン)が出てきて、No.6は毛色が変わって「見かけの力」、No.7はクーロン力そのもの、No.8は系統の違うおまけ——という並びになっています。この4区分を意識しておくと、6つが頭の中でぶつからなくなります。
まず原子レベル:電気陰性度と結合の極性
一番下の階から始めます。結合の極性は、電気陰性度の異なる原子が共有結合するときに生じます。
電気陰性度というのは、共有結合している電子を自分のほうへ引きつける強さのことでした。電気陰性度が大きい原子ほど、電子を強く引っ張ります。

塩化水素 HCl で見てみましょう。Cl は電気陰性度が強い原子です。そいつが共有結合の電子を自分の側に引き寄せる。ただし、電子が完全に移ってしまうわけではありません。 引き寄せられた状態で、偏りを持って配置されている——これが極性共有結合です。
結果として、電気陰性度の大きい原子のほうが部分的な負電荷(δ−)を、小さいほうが部分的な正電荷(δ+)を帯びます。図の青い矢印は「電子の偏りがこちらに寄っている」ということを表す記号だと思ってください。
電子が完全に移れば、それはイオン結合です。 完全には移らず、偏るだけ。この「中途半端さ」が、このあとの相互作用の話の全部につながっていきます。
偏りの大きさを測る:双極子モーメント μ = Q·r
「極性がある」ところまでは分かりました。次の問いは、その偏りがどれくらいの大きさなのかです。ここで登場するのが双極子モーメントです。
μ = Q · r
Q が電荷の大きさ、r が電荷どうしの距離です。電荷が大きいほど、離れているほど、双極子モーメントは大きくなります。

ここで大事なのが、結合1本ずつの双極子モーメントを、分子全体でベクトルとして足し合わせるという操作です。
水分子 H₂O を見てください。O は電気陰性度が強いので、2本の O–H 結合それぞれで電子を O のほうへ引っ張っています。O が δ−、H が δ+ です。つまり結合1本ごとに双極子モーメント(図の μ_OH)がある。その2本をベクトル合成すると、分子全体としての双極子モーメント μ が下向きに残ります。
矢印の向きについて。 この図では、青い矢印が「電子の偏りの向き(δ+ → δ−)」、赤い矢印が「双極子モーメント μ の向き(δ− → δ+)」で、互いに逆を向いています。教科書によって矢印の流儀が分かれるところなので、向きそのものを暗記するより、「合成した結果がゼロになるかどうか」を見るほうが試験では役に立ちます。
分子全体で見る:極性分子と無極性分子
分子全体の双極子モーメントが求まると、分子を2つに分けられます。

分子全体として双極子モーメントを持つものが極性分子です。 水分子は、いま見たとおり全体として下向きの双極子モーメントを持っているので、極性分子です。
| 例 | |
|---|---|
| 極性分子 | H₂O、NH₃、HCl、硫化水素(H₂S)、二酸化硫黄(SO₂) |
| 無極性分子 | H₂、O₂、CO₂、メタン(CH₄)、四塩化炭素(CCl₄)、ベンゼン |
硫化水素と二酸化硫黄は、薬剤師国家試験でもたまに聞かれます。どちらも分子の形を考えれば答えが出ます。SO₂ は折れ線形なので、2本の S=O の双極子モーメントが打ち消し合わずに残る。直線形の CO₂ とは結果が変わる、というわけですね。
結合に極性があっても、分子は無極性になりうる
ここが一番の落とし穴です。結合に極性があることと、分子が極性分子であることは、同じではありません。

メタン CH₄ で確かめましょう。真ん中の C は H よりも電気陰性度が高いので、4本すべての C–H 結合で電子を C のほうに引っ張っています。C が δ−、H が δ+。結合1本ずつを見れば、確かに偏りがあります。
ところがメタンは正四面体です。4本のベクトルを合成すると、分子全体としての双極子モーメントは 0 になってしまいます。 これが無極性分子です。
無極性分子には2つのパターンがあることを押さえておいてください。
- そもそも結合に極性がない — H₂ や O₂ のように、同じ原子どうしが引っ張り合っている場合。引き分けなので偏りようがない
- 結合には極性があるが、分子の対称性が高くて打ち消し合う — メタン、四塩化炭素、CO₂、ベンゼンがこちら
試験で問われるのは圧倒的に2番目です。「結合の極性を見て終わりにせず、分子の形まで見る」を癖にしてください。
ここまでの整理
一度ここで階段を振り返ります。
- 原子レベル — 電気陰性度。電子を引っ張る強さ
- 結合レベル — 電気陰性度の異なる原子が共有結合すると、結合に極性が生まれる
- その大きさ — 双極子モーメント μ = Q·r で定量化する
- 分子レベル — 結合ごとの双極子モーメントをベクトル合成して、極性分子か無極性分子かを判定する
分子全体のことが分かったので、ようやく分子と分子の間に進めます。
分子間相互作用とは何か
分子間相互作用には、押さえておくべき特徴が3つあります。
- 化学結合とは異なり、電子の完全な移動を伴わない — 共有結合やイオン結合とは、ここで線が引かれます
- 分子どうしが引き合ったり、近づきすぎると反発したりする作用 — 引力だけではなく斥力もある
- 共有結合よりも結合力は弱いが、分子の集合体においては非常に重要
3つ目がピンとこないかもしれないので、具体例を出します。水の沸点です。
水は分子量18しかありません。普通、分子量が近い分子と比べれば沸点も近いはずです。ところが水の沸点は100℃で、同じくらいの分子量の分子と比べてものすごく高い。1個1個の力は共有結合より弱くても、分子が集まった集合体として見ると、沸点という目に見える性質を決めてしまうわけです。
この「水の沸点だけおかしい」という話は、水素結合の記事で正面から扱います。分子間相互作用を学ぶ意味が一番はっきり出るところなので、楽しみにしておいてください。
まとめ
- 結合の極性は、電気陰性度の異なる原子が共有結合するときに生じる。電子は完全には移らず、偏るだけ(極性共有結合)
- 電気陰性度が大きい原子が δ−、小さい原子が δ+ を帯びる
- 偏りの大きさを定量化したものが双極子モーメント μ = Q·r
- 結合ごとの双極子モーメントをベクトル合成して、分子全体の双極子モーメントを求める
- 全体として双極子モーメントを持つ=極性分子(H₂O、NH₃、HCl、H₂S、SO₂)、持たない=無極性分子(H₂、O₂、CO₂、CH₄、CCl₄、ベンゼン)
- 結合に極性があっても、対称性が高ければ分子は無極性になる。 メタンが典型例。結合だけ見て判断しない
- 分子間相互作用は、①電子の完全な移動を伴わない ②引力にも斥力にもなる ③1本は弱いが集合体では効く、の3つが特徴
次はファンデルワールス相互作用:配向力・誘起力・分散力(ロンドン力)の違いを読んでみてください。6つの相互作用の土台になるところです。
物理を、1枚の地図として頭に入れませんか
この記事の冒頭に載せたマインドマップは、物理という科目のほんの一区画です。実際には、物質の物理的性質から化学物質の分析、放射化学までが、1枚の地図としてひと続きにつながっています。
公式をバラバラに覚えようとすると物理は苦しくなりますが、「この式がどこから来て、どこにつながるのか」が地図として見えていると、覚える量そのものが減ります。細切れに暗記してきたものが、1本の線になる感覚です。
物理のマインドマップ(¥3,500)は、その全体像を1冊にまとめたPDFです。無料サンプル(分光分析法の範囲)と、地図をたどりながら話すYouTubeの講義動画があるので、この進め方が自分に合うかどうかは先に確かめられます。