
エンタルピーは、知識がごちゃごちゃになりやすいところの筆頭です。でも、ざっくり言ってしまえば一言で済みます。
エンタルピーとは、定圧過程のときに出入りする熱のこと。
前回まででいろいろな過程を見てきましたが、そのうち定圧過程は実験で一番よく使う条件でしたよね。その定圧条件でやりとりされる熱を、状態量として扱えるようにしたのがエンタルピーです。
つまりエンタルピーは、話を難しくするために出てきた概念ではなく、簡単にするために導入されたものです。ビビらずに、ちょっと優しい気持ちで接してみてください。
この記事は、もともと解説授業の動画で話している内容を記事に起こしたものです。物理の解説授業は分光分析法の範囲をYouTubeで無料公開しているので、読むよりも動画で一気に見たい人はそちらもどうぞ。
Contents
なぜエンタルピーを導入したのか
前回までで確認したとおり、熱 q と仕事 W は経路関数でした。前と後の状態が同じでも、途中のやり方(定容・定圧・等温・断熱)が違えば、q も W も違う値になってしまう。
これだと困ることがあります。「この物質はこういう値です」というカタログを作れないのです。データベース化できない。
そこで出てくるのが、
H = U + pV
この H が状態関数です。初期状態と最終状態だけで決まるので、比較も計算もできます。
山の標高差のイメージ
状態関数は「山の標高差」だと思ってください。ふもとから頂上まで、歩いて登ろうが、ロープウェイで行こうが、ヘリコプターで行こうが、標高差そのものは変わりません。ΔH も同じです。
ΔH = q(定圧)が出てくるまで
H = U + pV から出発します。
ΔH = ΔU + Δ(pV)
ここで Δ(pV) は仕事ではありません。「後の pV」から「前の pV」を引いた差、つまり状態関数どうしの差です。
圧力 p が一定のとき、変わるのは V だけなので
ΔH = ΔU + pΔV
ここに熱力学第一法則を入れます。定圧過程では ΔU = q − pΔV でしたから、
ΔH = (q − pΔV) + pΔV = q
ΔH = q。 定圧で可逆的に変化させたときの熱と、エンタルピー変化が一致しました。
なお、H そのものの絶対量は把握できません。変化量 ΔH に注目するのは、内部エネルギー U と同じですね。
吸熱反応と発熱反応

ΔH は熱の出入りと同じなので、符号の意味もそのままです。前回と同じ「系の中の小人」目線で考えます。
- ΔH > 0:系の中に熱が入ってきた → 吸熱反応
- ΔH < 0:系の外に熱が出ていった → 発熱反応
基準を決める:標準状態
山の高さを測るには、海抜0 mという基準が要りますよね。エンタルピーも同じで、カタログを作るには基準が必要です。それが標準状態です。
標準状態の条件は次のとおりです。
- 圧力は 1 bar(ほぼ大気圧)
- 純粋にその物質だけが存在する状態
- 形態まで指定しなければならない
3つめが重要です。同じ H₂O でも、氷・水・水蒸気ではまったく違います。だから「水」と書くだけでは足りない。しかも氷なら結晶の種類まで指定します。
これに加えて、温度による指定もします。25℃のときの値、100℃のときの値、というように表が分かれるイメージです。この温度指定がなぜ効いてくるかは、このあとの相転移エンタルピーで実感できます。
| 記号 | 名前 | 意味 |
|---|---|---|
| H° | 標準エンタルピー | 標準状態にあるときのエンタルピー |
| H_m° | 標準モルエンタルピー | 標準状態での1 molあたりのエンタルピー |
相転移エンタルピー
相転移とは、固体・液体・気体と相が変わることです。相が変わると分子の並び方が変わるので、その並び替えにエネルギーが必要になります。
「温度を上げるためのエネルギー」ではなく「並び方を変えるためのエネルギー」——こう捉えると理解しやすくなります。

氷を加熱していくと0℃に達します。0℃の氷が0℃の水になる——このとき温度は上がっていません。状態が変わっているだけです。このときに必要なエンタルピーが融解エンタルピー。標準状態でのものが Δ_fus H°(標準融解エンタルピー) です。
さらに加熱すると温度が上がり、100℃に達します。100℃の水が100℃の水蒸気になるときの熱量が蒸発エンタルピー Δ_vap H°。ここでもやはり温度は上がりません。

固体からいきなり気体になるのが昇華です。ドライアイス(固体のCO₂)が気体のCO₂になるような変化ですね。これが Δ_sub H°(標準昇華エンタルピー) です。
温度指定が効いてくる例
水の標準蒸発エンタルピーは、
| 温度 | Δ_vap H° |
|---|---|
| 25℃ | 44 kJ/mol |
| 100℃ | 40.7 kJ/mol |
25℃の水を水蒸気にするほうが、100℃の水を水蒸気にするより多くのエネルギーが要る。 言われてみれば当たり前ですが、だから標準状態には温度の指定が必要なのです。
逆過程のエンタルピー
固体 → 液体 と 液体 → 固体 では、符号が逆になるだけです。
- 100℃の水 → 100℃の水蒸気(蒸発):+40.7 kJ/mol
- 100℃の水蒸気 → 100℃の水(凝縮):−40.7 kJ/mol
- 0℃の氷 → 0℃の水(融解):Δ_fus H°
- 0℃の水 → 0℃の氷(凝固):−Δ_fus H°
化学変化のエンタルピー
化学反応にはいろいろな名前がついていますが、全体を統括する名前が反応エンタルピー Δ_r H です。

反応エンタルピー = 生成物のモルエンタルピーの合計 − 反応物のモルエンタルピーの合計。
そして、反応物も生成物もすべて標準状態にある場合の反応エンタルピーが、標準反応エンタルピー Δ_r H° です。
燃焼エンタルピー(例:メタン)
燃焼反応のときの反応エンタルピーを Δ_c H(cはcombustionのc)と書きます。可燃性物質1 molあたりの標準エンタルピー変化が標準燃焼エンタルピー Δ_c H° です。
メタンの燃焼を見てみましょう。
CH₄(g) + 2O₂(g) → CO₂(g) + 2H₂O(l) Δ_c H° = −890 kJ/mol
マイナスですから、小人の外に890 kJ出ていったということ。発熱反応ですね。燃焼反応なので当然です。
すべての物質が標準状態にあるときの、前と後の差が −890 kJ/mol とカタログに載っている——そういうイメージです。
標準生成エンタルピー

反応エンタルピーを計算したくても、各物質のエンタルピーの絶対値は分かりません。そこで、こう決めました。
1 bar・25℃で最も安定な状態の単体のエンタルピーを0とする。
炭素ならグラファイト(黒鉛)です。ダイヤモンドも固体の炭素ですが、エネルギー状態が高いので基準にはなりません。同じように O₂ など、単体はエンタルピー0と決められています。
そのうえで、標準状態の単体から化合物を1 mol生成するときのエンタルピー変化が標準生成エンタルピー Δ_f H° です。グラファイトと水素からメタンを作るときの値が、メタンの標準生成エンタルピー、というわけですね。
ヘスの法則
標準生成エンタルピーの何がすごいのか。足し算引き算ができることです。
図を見ると分かりやすいと思います。上に単体(エンタルピー0)があって、そこから下に降りたところに反応物と生成物がある。「一度上に戻してから、別の経路で下りる」という計算ができてしまう。
エンタルピーは状態関数なので、経路によらない。だから全体の反応エンタルピーは、個々の反応エンタルピーの和になる。
これがヘスの法則です。大学受験の熱化学でやった「エネルギー図を組み合わせる」あの計算の、正体がこれです。
結合エンタルピー
化学結合の開裂に必要なエンタルピーのことです。たとえばメタンには4本のC–H結合がありますが、それを切るのに必要なエネルギー、ということですね。これも大学受験で触れたことがある内容を、エンタルピーの目線で言い直したものです。
まとめ
- エンタルピーとは定圧条件でやりとりされる熱を、状態量として扱えるようにしたもの
- q と W は経路関数なのでカタログ化できない。H = U + pV は状態関数なので比較・計算できる
- 定圧では ΔH = q。ΔH > 0 が吸熱、ΔH < 0 が発熱
- 基準は標準状態:1 bar・純物質・形態(氷/水/水蒸気、結晶の種類)まで指定・温度も指定
- 相転移エンタルピーは「並び方を変えるためのエネルギー」。融解 Δ_fus H°、蒸発 Δ_vap H°、昇華 Δ_sub H°。逆過程は符号が逆になるだけ
- 水の Δ_vap H° は25℃で44 kJ/mol、100℃で40.7 kJ/mol。温度指定が必要な理由がここ
- 反応エンタルピー = 生成物の合計 − 反応物の合計。燃焼なら Δ_c H(メタンは −890 kJ/mol)
- 標準生成エンタルピー Δ_f H° は、最も安定な単体(炭素ならグラファイト)を0とした基準からの差
- エンタルピーは状態関数だから足し算引き算できる → ヘスの法則
これでエネルギーのところがひととおり終わりました。次はエントロピーとギブズエネルギーで自発的反応を判断するです。いよいよ「その反応は自発的に進むのか」を判定できるようになります。
物理を、1枚の地図として頭に入れませんか
この記事の冒頭に載せたマインドマップは、物理という科目のほんの一区画です。実際には、物質の物理的性質から化学物質の分析、放射化学までが、1枚の地図としてひと続きにつながっています。
公式をバラバラに覚えようとすると物理は苦しくなりますが、「この式がどこから来て、どこにつながるのか」が地図として見えていると、覚える量そのものが減ります。細切れに暗記してきたものが、1本の線になる感覚です。
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