
「化学ポテンシャルへの道」の最後です。
前回までは、A という1つの物質について自発的反応や相平衡を考えてきました。今回からは、そこに B という別の物質も入れたらどうなるか——つまり成分が2つ以上ある系を扱います。
先に言っておくと、この単元は薬剤師国家試験にはほとんど出ません。 それでも飛ばさずにやるのは、ここがこの先すべての土台だからです。溶液論のラウールの法則も、束一的性質も、電解質溶液も、電気化学も、根底には全部この化学ポテンシャルが流れています。点を取るためというより、後半への橋渡しとして通っておく回だと思ってください。
この記事は、もともと解説授業の動画で話している内容を記事に起こしたものです。物理の解説授業は分光分析法の範囲をYouTubeで無料公開しているので、読むよりも動画で一気に見たい人はそちらもどうぞ。
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部分モル量とは:部分モル体積で慣らす
化学ポテンシャルは「部分モルギブズエネルギー」の別名です。いきなりギブズエネルギーで考えると難しいので、部分モル体積で感覚を掴みましょう。
大量の純粋な水に、1 molのH₂Oを加えると、体積は18 cm³増えます。 ところが、大量のエタノールに1 molのH₂Oを加えても、体積は14 cm³しか増えません。
同じ「水1 mol」なのに、入れる先によって増える体積が違う。周りにいる分子が違えば、水分子の詰まり方も変わるからですね。
つまり、部分モル体積はその組み合わせでのみ有効な値で、水とエタノールのグラフから読み取るしかありません。
全体の体積は、それぞれの部分モル体積にモル数を掛けて足し合わせたものになります。
V = n_A V_A + n_B V_B
部分モルギブズエネルギー = 化学ポテンシャル
同じことをギブズエネルギーでやります。
ビーカーの中に A という物質があって、そこに B を加える。このとき全体のギブズエネルギーは、A 単独のモルギブズエネルギーと B 単独のモルギブズエネルギーを単純に足したものにはなりません。しかも、基本的にはもっと下がる方向に行きます。
水にインクを1滴たらすと、サーッと広がっていきますよね。あれは全体のギブズエネルギーが下がる方向に行きたいから混ざっているのです。エントロピーで説明することもできますが、エントロピーの考え方を含んだギブズエネルギーで見ると、より統一的に説明できます。
この部分モルギブズエネルギー G_J に、新しい名前をつけたものが化学ポテンシャル μ_J です。
記号が置き換わっただけだと思ってください。「なんだ、ギブズエネルギーとほぼ大差ないじゃないか」——そのとおりです。
G = n_A G_mA + n_B G_mB = n_A μ_A + n_B μ_B
なお、化学ポテンシャルは1 molあたりの量なので、示強性状態関数です(熱力学第一法則の回で整理したとおりですね)。
化学ポテンシャルの式
完全気体の成分 J の化学ポテンシャルは、こう書けます。
μ_J = μ_J° + RT ln(p_J / p°)
μ_J° は、純物質 J の 1 bar でのモルギブズエネルギー G_mJ° のことです。
どこから出てきたのか
前回の dG = VdP(T一定)を思い出してください。これを積分します。気体のモル体積は Vm = RT/P なので、
ΔG_m = ∫ Vm dP = ∫ (RT/P) dP = RT ln(P_f / P_i)
ΔG_m = G_m(P_f) − G_m(P_i) ですから、
G_m(P) = G_m° + RT ln(P / P°)
これの記号を化学ポテンシャルに置き換えただけです。同じ式ですね。
混ざると化学ポテンシャルは下がる
この式をよく見てください。混合物の中では、成分 J の分圧 p_J は全圧より小さくなります。つまり p_J / p° の中身が小さくなり、ln をとるとマイナスになる。
純物質のときより、混ざったときのほうが化学ポテンシャルは小さくなる。
化学ポテンシャルは小さくなるほうへ自発変化しますから、物質は混ざりたがる。この式から、そのことが読み取れます。
化学ポテンシャルの変化
始状態と終状態で引き算すると、μ_J° が消えて、
Δμ_J = RT ln(p_{J,f} / p_{J,i})
対数の引き算は割り算、という形がそのまま出てきます。
気体が自発的に混合する理由
式で確かめてみましょう。
密閉容器を仕切りで2つに分け、片側に A(n_A mol)、もう片側に B(n_B mol)を入れます。温度も圧力も両側で同じ P とします。仕切りを取り払うと、全圧は変わらず、モル数は n_A + n_B になります。
混合前 G_i:それぞれが圧力 P のもとにあるので、
G_i = n_A{μ_A° + RT ln(P/P°)} + n_B{μ_B° + RT ln(P/P°)}
混合後 G_f:ここが大事なところです。混合後、A の分圧は x_A・P(x はモル分率)になります。
G_f = n_A{μ_A° + RT ln(x_A P/P°)} + n_B{μ_B° + RT ln(x_B P/P°)}
引き算すると、μ° の項も P/P° の項もきれいに消えて、
Δ_mix G = n_A RT ln x_A + n_B RT ln x_B = RT(n_A ln x_A + n_B ln x_B)
1 molあたりに直すと、
Δ_mix G_m = RT(x_A ln x_A + x_B ln x_B)
式の意味
モル分率 x_A も x_B も 0〜1 の値です。1以下の数の対数はマイナスですから、ln x_A < 0、ln x_B < 0。したがって
Δ_mix G < 0
混合したほうがギブズエネルギーが低くなる。 だから気体は自発的に混ざるのです。仕切りを取ったら広がっていくという当たり前の現象を、化学ポテンシャルで証明できました。
まとめ
- 成分が2つ以上ある系を扱うために部分モル量を導入する
- 部分モル体積:大量の水に1 molの水を入れると18 cm³増えるが、大量のエタノールに1 molの水を入れても14 cm³しか増えない。その組み合わせでのみ有効な値で、実験で読み取るしかない
- V = n_A V_A + n_B V_B
- 部分モルギブズエネルギー = 化学ポテンシャル μ。記号が置き換わっただけで、中身はギブズエネルギー。示強性状態関数
- G = n_A μ_A + n_B μ_B
- μ_J = μ_J° + RT ln(p_J / p°)。dG = VdP を積分した G_m(P) = G_m° + RT ln(P/P°) と同じ式
- 混合物では p_J が小さくなるので ln の項がマイナス → 混ざると化学ポテンシャルは下がる
- Δ_mix G_m = RT(x_A ln x_A + x_B ln x_B) < 0。だから気体は自発的に混合する
これで化学ポテンシャルという道具が手に入りました。次は平衡定数の導出とファントホッフ式・アレニウス式との対比です。大学受験で丸暗記した平衡定数 K が、実はこの化学ポテンシャルから出てくる、という話をします。
物理を、1枚の地図として頭に入れませんか
この記事の冒頭に載せたマインドマップは、物理という科目のほんの一区画です。実際には、物質の物理的性質から化学物質の分析、放射化学までが、1枚の地図としてひと続きにつながっています。
公式をバラバラに覚えようとすると物理は苦しくなりますが、「この式がどこから来て、どこにつながるのか」が地図として見えていると、覚える量そのものが減ります。細切れに暗記してきたものが、1本の線になる感覚です。
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